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貝原東軒は貝原益軒の妻であり良妻の範と称された [知っておきたい博多の人物]

福岡の秋月藩出身の貝原東軒16歳の時に貝原益軒と結婚した。
そのとき貝原益軒は39歳


名前は江崎初で、字(あざな)は得生



貝原東軒は類稀な才女であり、和歌に巧みであり、楷書も巧みで、京都では能筆家として認められるほどの達筆であった。



貝原益軒との共作の掛け軸も残っていて、有名なものは貝原東軒が「敬愛」と楷書で大書きし、これに貝原益軒が細書きで解説を記したもので、夫婦の仲が良いことが伝わってくる作品として知られる。



また、夫婦で筝・胡琴の合奏も楽しんだという。



20歳以上も年の離れた妻を愛した貝原益軒は、62歳と69歳のときに京都に妻の東軒を同行させた。
当時は婦人と一緒の旅は珍しく、愛妻家振りが知れ渡った。



日本各地を夫婦で視察して、貝原益軒の巡遊記に達筆で補筆した妻であった。



妻の東軒は62歳で他界するが、40年以上も仲良く連れ添った妻を亡くした益軒は心身ともに疲労し、来客を断って引きこもりとなった。



貝原益軒は、妻の死から8ヵ月後、妻の後を追うように85年の生涯を終えた。



貝原益軒の偉業を陰で支えた妻




シーボルトから「東洋のアリストテレス」と称され、「養生訓」をはじめとする膨大な著書を残した偉大な学者であった貝原益軒。


だが、当時としては驚くべき年齢の85歳まで生きていろいろな学問を広く世間に広めながら書物にしていったのは才女である妻の東軒がいたからこそ。



自分の娘でもおかしくない20歳以上も年の離れた妻をこよなく愛した郷土が誇る偉人貝原益軒と妻東軒のお墓は福岡市中央区今川の金龍寺にあります。
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福岡市の文化財より



秋月を訪れた時は、東軒生誕の地も是非とも訪れてみたいものです。







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