SSブログ

筑紫野市の「買援隊」から商店街を再生するヒントを学びましょう!! [社会問題]

筑紫野市の買い物難民支援事業である「買援隊」の記事を西日本新聞で読んで心が温まりました。



001.JPG



私の父母は既に他界しましたが、生前はやはり「買い物難民」でした。



後先を考えずに、自分達が年老いた時のことを考えずに階段を百段以上も登らないといけないような土地に家を建てて、風光明媚な景色を自慢してもいたのです。^^;




だが、年を重ねるにつけ買い物も難儀となり、荒んだ生活を送っていました。



アレもない、コレもない・・・だけど、買い物に行くのが面倒。



当然のことですが、パソコンなど扱えるはずもなく、ネットショッピングなどできるはずもないから、お金があっても使えないのです。



私は買い物難民と言う言葉を聞くたびに亡父母のことが思い浮かびます。(涙)



クルマがあるけど、駐車場は数百メートル離れた場所で、クルマで買い物に行っても、やはり百段を超えるような階段を思い荷物をぶら提げて登らないといけないのです。



クルマがあるという意味すらないような気がしていました。



なので、私はどんな辺鄙な山奥だろうと、クルマが自宅まで行けない様な不動産は買うべきではないし、賃貸借にせよ住むべきでもないと、断固思っています。



亡母は救急車を何度か呼んだことがあるようですが、そんなところに行く消防隊員の方々のご苦労を察すると頭が下がります。



既に高齢社会です。



歳を重ねれば、体の悪いところがあるのはある意味当たり前です。



そのような方でも、買い物が出来る環境が必要です。



クルマを前提とする郊外ショッピングセンターが今尚買い物の主流になっていて、それがために商店街は壊滅状態になっているところも少なくありません。



商店街の復興と言うよりも、より近隣地区の昔の駄菓子屋ぐらいの規模の生活必需品が揃うお店も必要な気がします。



コンビニすらないのです。



こういう場所では、「地域に根ざしたよろず屋」が必要ではないか?と思うのです。



行政もこういう「地域に根ざしたよろず屋」をやる方には特別な租税措置を行うべきではないか?とも思うのです。


これからお年寄りがますます増える社会となります。



数百人規模に1軒ぐらいの「地域に根ざしたよろず屋」が買い物難民を救う様な気がするのです。



ビジネスとして上手くいくかは別問題なのです。



弱者切捨てみたいな社会をこれまで作り上げてきたから、いつまで経ってもいじめ問題や労働法の不正問題ばかりが後を絶ちません。



富を得た人間を賞賛するような風潮は終わりにしませんか?



・何をしたか?
・どれほどお役に立てたか?
・それが今も支持されているか?
・従業員は幸せで、満足しているのか?
・・・等々を再確認する時期に来ている様な気がします。









nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。